lacolaco's marginalia

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習慣や文化も適者生存

継続性は過大評価されていると感じる。別に貶めたいわけではないが、「ずっとやってきた」という継続性そのものは、それを今後も継続しなければならない理由にはならない。それが続いていくのは、それを続けることが状況や環境に適している(=価値がある)と感じられているからだ。だから、価値を感じなければやめていいし、むしろやめるべきだ。価値を感じないことを継続するために費やしているコストは無駄だ。そんな習慣や文化は淘汰されるべきである。生き残るのは適者である。

裏返せば、自然消滅で続かなくなってしまったものは、逆説的に「もう価値を感じていなかった」と考えられる。それを続けるためのコストと釣り合う以上の価値を実感していれば、それは継続されたはず。そうじゃなかったとしたら、それほどの価値は感じられなかったということである。

もう一つ裏返すと、ある習慣や文化を継続したいと思うのであれば、それが価値を生み続けるように状況や環境に適応させつづけなければならない。固定化してしまえばいずれ淘汰される。もちろん、ある習慣や文化に価値を感じられるように状況や環境のほうを適応させることもありえる。

継続性は善でも悪でもなく、続いてきたものを終わらせることに罪悪感を感じる必要はない。むしろ終わるべきものを終わらせることは正しい判断である。罪悪感を感じる必要があるとすれば、価値あることだと知りながらそれを守らないという矛盾した選択をしてしまったときだろう。だが、そうだとしてもいつだって再始動のチャンスはある。価値は失ってから気づくのが世の常、価値あることだったと思い直したらそのときに新しく始めればいいのだ。