○○してもらえるとうれしいです。
あるいは
○○していただけると幸いです。
これらは個人的「言わないように気をつけていることば」ランキングの上位に入る。
うっかり言ってしまった日にはひとりで反省しているが、ひとりで気をつけているだけなので誰にも押し付けるつもりはない。
「してください」でいい
○○してもらえるとうれしいです。
これを言われると大抵の人は「○○をするようお願いしてるんだな」とわかるだろうが、文字通りに受け止めればこれは何もお願いはしていない。
これが表現しているのは私の状態の説明であって、「私は〇〇してもらえるとうれしい状態です」というアピールにすぎない。
これは「お腹すいた」と言って「ごはんを用意してほしい」をリクエストするのと同じであるし、「ごはんできたよ」と言って「すぐに食卓に来て配膳を手伝ってほしい」をリクエストするのと同じである。
このような隠喩的なリクエストは相手の解釈の余地を大いに挟むし、それで自分が求めていたものが出てこないと衝突が起きたりする。最初からはっきりお願いしていれば穏やかに済んだであろうに。
なぜそうなるか。それは「事実から当為は導けない」からであり、共感なき「べき」の押しつけが摩擦を生むからである。
「お腹すいた」が「ごはんを用意してほしい」のリクエストになりえるのは、「あなたは私が空腹にならないよう気を配るべきだ」という「べき」の受け入れを要求しているからだ。扶養関係にある親子ならまだしも、対等な関係だと思っている相手にそんな「べき」を要求すれば機嫌を悪くされても仕方ない。
同じように「○○してもらえるとうれしい」は「私がうれしければあなたもうれしいはずだ」というニュアンスを秘めている。ちょっとひねくれた受け取り方をすれば「あなたを喜ばせるために仕事してるんじゃない」と返されるかもしれないし、それはごもっともである。
してほしいときには「してください」「してほしい」とストレートにリクエストする。ストレートに断られる可能性も当然考慮する。
状態をアピールして相手のアクションへの期待を匂わせる隠喩的なコミュニケーションをしない。特に仕事の場では気をつけている。
参考: 非暴力コミュニケーション http://nvc-japan.net/nvc/