Marginalia

「小さくリリースする」以前に、リリースが小さいとはどういうことか

「どのように小さくリリースするか」ということを議論する以前に、「リリースが小さいとはどういうことか」についての認識を合わせられてなかったら、準備はまったくできてないと言っていい。

何においてもそうである。「どうやっておいしくハンバーグを作るか」を議論するには「ハンバーグがおいしいとはどういうことか」についての共通認識が必要だ。ハンバーグのおいしさについての意見が噛み合ってなかったら、その人達がどれだけ話し合っても「どうやっておいしくハンバーグを作るか」に答えを出せるわけがない。

だから、なんらかのきっかけで「リリースの大小」に問題意識が向いたのなら、「リリースが小さいとはどういうことか」が最初の論点にならなければいけない。(もちろん「リリースとは何を指すのか」についても当然共通認識が出来ていないと意味がないが)

大きい・小さいという尺度は、面積や体積をもった物体同士を比較するのに使われる表現だ。そして、リリースは物体ではない。尺度とは比較できるということである。リリースという概念に直接計測可能な大小の尺度がない限りは、「何をもってリリースの大小とするか」という定義を置かないと話が進まない。われわれがリリースの大きさについて語るとき、実際に考えているのはリリースそのものの大小ではありえず、つねに何か別のものについて考えている。だからこそ「リリースが小さいとはどういうことか」と問わねばならない。

リリースの大小という共通の尺度を手に入れることができれば、「この尺度において、リリースはこの程度小さくなければわれわれには不都合だ」と言えるような条件を作ることができる。そうしてようやく「どのように小さくリリースするか」という問題設定にたどり着く。

議論の前提となる尺度を定立し、その尺度をもとに満たさねばならない条件を発見し、その条件を制約として方法を考える。これが方法について議論するための基本構造である。