まずはじめに、「内言」と「外言」という言葉をご存知だろうか。心理学で用いられる用語で、それぞれ次のように説明される。
内言: 発声を伴わずに自分自身の心のなかで用いる言葉
外言: 外に向って発せられ,他人との相互交渉の用具としての機能をもつ音声化した言葉
わたしたちは普段日本語で考え、日本語で話し、日本語を読み書きしていると思っているが、実は頭の中で使っている言葉と、外の世界で音や文字として実体を得た言葉の間には違いがあるのだ。
頭の中にある考え、思いは内言として組み立てられる。内言は人それぞれの独自の形を持つ。圧縮と省略が頻繁に起こり非文法的に組み立てられる。
文章を書いたり誰かと話したり、外の世界に自分の言葉を出力するとき、そこに内言から外言への翻訳が起きる。これを普段わたしたちは〈言語化〉と呼んでいる。外言はコミュニケーションのための言語だから、ルールに従わないとうまく伝わらない。共通の語彙を使い、整合した文法で組み立てる必要がある。
自由で無秩序な内言から社会の共有言語である外言に言語化するとき、多かれ少なかれ情報の欠落と変質が起きる。
外言とは内言の不可逆な変換の出力であり、外の世界に投影された像とも言える。
少し話を変えて「対話」についての話をしよう。
細川英雄さんの「対話をデザインする」から次の文を引用する。
自分の言っていることが相手に伝わるか、伝わらないか、どうすれば伝わるか、なぜ伝わらないのか、そうしたことを常に考えつづけ、相手に伝えるための最大限の努力をする、その手続きのプロセスが対話にはあります
対話をデザインする ──伝わるとはどういうことか (ちくま新書)
相手と対話するには、自分の言いたいことを伝え、相手の言いたいことを理解する双方向のコミュニケーションが必要だ。
先ほど述べたとおり、自分と相手の間にあるのは外言であり、自分と相手はそれぞれ別の内言を持っている。外言として同じ日本語を話していても、相手に届いている言葉は自分の内言から変換された外言で、さらにその言葉は相手の内言に再変換されて理解される。だから本当に自分の考えは伝わっているのか、同じ概念を共有してるのか、ということを考え続けなければ対話は成立しない。言語化の精度を高めるためにはどのように努力すればいいのだろうか。
自分の考えや思いを極力そのまま表現できるように言語化できるかどうかは、不可逆な変換をどれだけチューニングできるかにかかっている。
まず必要なのは外言の語彙や文法の理解だ。どんなに素晴らしいことを考えていても子供のような語彙では思ったように伝えられない。外言を組み立てるための部品として体系的な言語学習は必要である。
もうひとつはその部品の使い方を鍛えることだ。
内言と外言の変換を何度も反復練習し、出力された外言を評価し、フィードバックを得る学習ステップが必要だろう。
この学習の最も簡単な実践は、文章を書くことである。
文章を書き、それを読み返すことはいわば自己との対話だ。もちろん誰かに読んでもらい、どう伝わったかをフィードバックしてもらえればさらに効果は高い。
これはプログラマーの間でしばしばテーマとなる「なぜアウトプットが大事なのか」へのひとつの回答になるだろう。その内容が評価されるとか知識の定着につながるとかそうしたことを抜きにしても、外言を組み立てる言語化のプロセスを反復することその自体に意味があるのだ。自分の考えを言葉にする力、相手に伝わるように外言を組み立てる力は、あらゆるコミュニケーションの基礎になる。これは社会コミュニティの一員として生きる上でとても重要な能力なのではないだろうか。
もちろんこの投稿も、頭の中の内言を外言へ変換する訓練の一環である。