- 取捨選択は、資源の有限性から要請される
- 資源が無限であるならば、あらゆる欲望をいかようにも満たし続けうる
- 欲望を抱く限り、有限の資源が欲望に対して十分であるということはない
- なぜなら、「欲する」ということがすでに「足らぬ」を含意している
- むしろ、現在の資源では足らないという有限性の実感が欲望そのものである
- 欲望の取捨選択とは、どの欲望の達成可能性を高め、どの欲望の達成を諦めるかという選択の行為である
- 取捨選択は、欲望の優先順位にしたがったあらゆる物的・時間的・精神的資源の配分として行われる
- その欲望の達成可能性を十分確実にするだけの資源を配分するか、資源を配分せずに諦めるかという選択である
- 義務、命令、「やらねばならないこと」は、その主体の欲望による行為ではない
- 義務は、欲望と同列に取捨選択できる対象ではない
- 資源の配分は、有限の資源から、諸義務に必要な分を差し引いた中でのみ可能である
- もしも、諸義務について諸欲望と同列に資源配分の優先順位がつけられるのであれば、それは義務ではない
- やらねばならないとされながらも、それを可能とする資源が配分されていないのならば、その達成は義務ではない
- 優先度が高いとされながらも、それを可能とする資源が配分されておらず、かつそれよりも優先度が低いとされる欲望に資源が配分されているのならば、その欲望の実際の優先度は他よりも低い
- 考えてみよ。優先度が高い欲望の達成について資源が不足しているにもかかわらず、余剰の資源が他の欲望に配分されるとするならば、その欲望よりも他の欲望へ向ける資源の充足度が優先されたということである。つまり、その欲望は達成できずともよいと判断されたことにほかならない
- 欲望の達成を可能とする資源を配分しないことは、確実な達成を諦めたことと同じである
- 以上の帰結として、資源の配分は、義務の遂行に必要なものを差し引いたうち、もっとも優先される欲望に十分な量を配分し、その残りを次に優先される欲望に向け、資源がなくなるまでこれを繰り返すほかない
- 欲望の優先度が拮抗し、同列となった場合、その両方に十分な資源を配分できなければ、どちらかを諦めて片方への配分を十分にするか、どちらにも不十分に配分して達成を不確実にするか、どちらかしか選べない
- だが、前者を選択できるならば、それは同列ではなく優先順位がつけられていたことを意味する
- つまり、複数の欲望を真に同等に優先する場合、両方を十分に可能とする資源が無い限りにおいて、両方の確実な達成は諦めるほかない
- 欲望の優先順位を誤るということは、資源の扱いを誤ることである
- やらねばならないこと、やるべきでないことの判断を誤るということは、重用しなければならない人・物、忌避すべき人・物の判断を誤るということである