何かをやりたいという欲望に対して、なぜやりたいのかと理由を考えても、たいてい後づけで欲望を正当化するためのものにしかならない。それは、欲望こそが原因であって結果ではないからだ。やりたいと思ってしまったからやりたいと、欲望そのままを受け入れる。
欲望を持った瞬間から、世界はまるきり変わって見えてしまう。世界の見え方が変わった後ではその欲望ありきの思考に自ずと引っ張られる。
原因を問うのでなく、何かをやりたいという欲望を、「今この私」が持っていることの意味を問う。今この私がそれをやりたいと思うことで、結果としてどのような行動・結果に繋がりうるのか、何をなしうるのか。その欲望が自分自身と他者に対してどのような意味を持つのかを、遡るのではなく前方へ向かって考える。
今それをやりたいと欲望する私は、その欲望にしたがって何をなしうるのか。